2009年3月8日日曜日

Dirty Dianaに関する俺的妄想

先日投稿したMADについて、やはりリリックに関する疑問はあるようです。


なぜあのような演出をしたのかについて以下に書いていきます。

Dianaという女性についてはDiana Rossだのダイアナ妃だのと噂はいくらでもあります。ですが、このリリックは基本的にグルーピー(Groupie)について描写したものです。
加えて、ソースは今呈示することができませんが、プロデューサーであるQuincy Jonesがインタビューにてこの解釈が正しいと言及していた記憶があります。

この前提の上で、僕は今回のような演出をしました。
つまりDiana=Diana Rossである、という演出です。
まず強調しておきたいのは、僕自身この件について結論は出していません。
ただMusic Clip風に仕上げる際「この方がドラマティックだな」と思っただけです。

このRemixはブリッジで一気に曲調が変わります。
どこか悲しげな雰囲気に加え、「汚らわしいダイアナ」とうわ言のように繰り返す様は狂おしい程の愛、それ故の苦しみを僕に感じさせました。
そして、マイケルがそのような感情を現実にぶつけた相手は当時Diana Rossをおいて見出すことはできないでしょう。

つまり僕がMADを作るに当たって持ったイメージは

かつて愛した女性のスキャンダラスな部分への失望
(ダイアナは結構「女」を使っていたように見える人です)
しかし断ち切れない想い
「なぜ僕を選ばなかったんだい?僕ならあなたを幸せにできたのに」
愛ゆえの葛藤、苦しみ、そして咆哮。

おお、俺は何て痛いポエマーなんだorz
しかしまぁ、それなりにドラマティックな仕上がりになったのではないでしょうか?

最後に…
僕が描いたストーリーがマイケルの本意だとは決して思わないで下さい。
コレはMADムービーなのですから。

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